こんき(金亀)おしょう(和尚)とてっぱち(鉄鉢)

 これはな、くばち(来鉢)がかえるがはら(蛙ケ原)ち呼ばれちょった頃ん話じゃ。'
 村にたけしうちのすくね(武内宿禰)をうぶすな(産土)神様としち祀ったお社が '
あったんじゃ。後に、そこに祀られたこんき(金亀)大権現様んお話じゃ。     '
 天長四年(八ニ八)、延暦寺の坊さんじ、比叡山横川飯室谷ん金亀坊院主、法蓮和 '
尚(こん人が金亀和尚じゃ)が八幡大神のご神託を受けち、豊後国の宇佐神宮に一千 '
日の間こもり修行をなさったと。                        '
 そん時、金亀和尚は霊験を受け、八幡社を柞原山に迎えち御祭りし、宝殿を作った '
そうな。その後、金亀和尚が、比叡山に帰ることになった。            '
 和尚は、「この鉄鉢の落ちた所が、私の死後の霊の安住の地なり」と、手に持った '
鉄鉢を、大空に向こうち「えい!」と投げた。                  '
 そん鉄鉢が、今ん来鉢神社ん杜の木の上に止まっち、キラキラ光ったんじゃそうな。
 金亀和尚様は比叡山に帰った翌年、亡くなった。その神霊を、金亀大権現様としち、
お社に配祀しちからというもんは、村ん衆は社号を和尚宮と改め、お祭りしたそうな。
 鉄鉢が飛んじ来た所ちゅうんじ、今まで蛙ヶ原というちょった村ん名前を、来鉢ち 
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ゆう名に改めたということじゃ。                        '
 こんお社も初めは、八幡宮、明治三年には、たまたれ(玉垂)神社、さらに明治二 '
十五年には、その地名から来鉢神社と改めたんじゃ。               '
 今じゃ和尚様の御神霊はどこにあるやらわからんようになっちしもうたけど、こん '
来鉢神社は挾間町内三つの郷社(来鉢・白岳・大将軍)の一つじ、そりゃ由緒あるお '
宮さんなんじゃと。                              '

鉄鉢坊主

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