勇将、強力の狭間直重(はさまなおしげ)


 挾間町の中心部、国道210号線沿いに、積水山龍祥寺(せきすいざん’'
りゅうしょうじ)というお寺があります。              ’''
 そのお寺の西側には、狭間氏ゆかりの墓がたくさん祭られています。
その墓の真ん中辺りに、一番大きくどっしりとした墓石があります。’’
それが狭間氏初代「直重」の墓石です。              
狭間直重は、大友氏二代目「親秀(ちかひで)」の第四子として生まれま
した。すなわち直重は、大友氏初代、大友能直(よしなお)の孫に当たる
ことになります。                        
 大友氏は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の家来でした。大友能直はたいそ
う優秀な武士でしたので、頼朝から豊後の統治を任され、豊後の国にやっ
てきてからも度々いくさに出かけていました。           


龍の白光



 挾間の積水山龍祥寺には、それはそれは霊験あらたかな観音様が祭ら
れているのですが、この観音様は、狭間直重が鎌倉からいただいた貴重
な仏像で、25年に一度のお祭りのときだけ拝むことが出来ます。  
 この仏像が龍祥寺にやってきた由来というのは・・・       
 あるとき鎌倉の将軍、源実朝(さねとも)が船遊びに海へ出ました。 
 北条氏を始め、鎌倉幕府の名のある武将たちを乗せ、海上をはるか遠
くまで漕ぎ出しました。                     
 ところが、しばらくすると南の空がにわかにかき曇り、みるみるうち
に黒雲が流れてきて、急に強い雨と激しい風が吹き荒れ、四方に大波が
起こり、将軍の乗っている御座船も木の葉のようにゆれだしました。 
 大波は船の中まで流れ込み、乗っている武士はみな飛び散ってくる海
水でびしょぬれになるほどでした。                
 将軍実朝公は大いに驚いて、それでも大将で将軍ともあろうものがび
くびくしては見苦しいと思い、平静をよそおい、北条泰時(やすとき)
こう言いました。「お前は常日頃、よく江ノ島の奥の院の観音大士を信
仰しているそうではないか。すぐに観音大士に祈願し、波を静めよ」と
命令しました。                         
 泰時は、「恐れ入ります。早速祈願いたしましょう」と、江ノ島の観
音様の方角に向かい一心に祈願しました。             
 「ぜひ私の願いを聞き届けて、波を静まらせてください。日本の国で
一番大切な将軍様も乗っています。どうかこの海をお静めください。大
波を静めてくださればお礼にも参りましょう」           
とお経の普門品(ふもんぼん)を一心に念じて読んだところ、やがて、荒’''
れた海の中にぞっとするような光景が現れたのです。        
 なんと!海の中から龍が顔を出したではありませんか。龍は、薄暗く
なった海の波の上を、頭に観音大士をのせて白い光をこうこうと照らし
ながら御座船に近づいてきました。                
 龍の頭の明るい光が船の中を照らしました。実朝公はじめ武将たちは
驚いて必死に観音大士に祈りました。すると、今まで大荒れに荒れてい
た海は、たちまち静まっておだやかな海となったのでした。     
 一同はこの出来事にびっくりして観音大士の御利益に感謝し、実朝公
はじめ多くの武将は、鎌倉に帰るとさっそく江ノ島の奥の院の観音大士
にお礼のお参りをしました。                   
 その後実朝公は、鎌倉の大木谷に一宇(いちう)を建立し、この観音大
士を祭り、持仏堂(じぶつどう)と名づけたのです。         ’''
この観音大士が海の荒波を沈めて将軍をお助けしたことで、武士の間で
は知らぬものはなくなり、多くの武将たちがたびたびお参りするように
なりました。                          

強力狭間直重

 元との戦がすんで挾間に帰ったある日、直重は屋敷の庭に出て、居並
ぶ家来たちに言いました。                    
「みなのもの、力比べをしようではないか。この大石を持ちきるものは
おらんか、持ちきったものには褒美を出すぞ」           
と呼びかけましたが、誰も居ません。               
 そのうち、日ごろから家来の中では一番の力持ちといわれる大男が出
てきて、「それじゃわしが抱えてみよう」と言いました。      
 この大男は、筋肉隆々として、腕は大きく毛むくじゃらでありました。
いかにも力持ちで、大石もかるがると抱えそうに見えました。    

 大男は満身の力を込めて「エイッ」と抱えましたが、大石はぴくりと
も動きません。                         
 顔を真っ赤にして、また「うん!」と力を入れましたが、石はびくと
もしなかったのです。                      
 これを見た家来たちは、「あの大男がだめなら自分らが抱えてもだめ
だ」と諦めてしまいました。                   
 直重は、「もう、おらんのか。それではわしが・・・」といったので
す。家来たちは不思議な顔をして、いかに大将でも、持ち上げるはずは
ないと思っていました。                     
 そこへ直重が出てきて、ぐっと力を入れると、何とあの誰も動かせな
かった大石がぐらりと動き、さらに力を入れるとぐんぐん持ち上がり、
最後には「よいしょっ」と肩にかついだのです。          



 直重はこの大石を抱えて、あちらこちらを、のっし、のっしと歩きま
わってみせました。                       
 居並ぶ武士たちはびっくりして、大将直重の力に感激しました。直重
はそれほど力も知恵もある大将だったのです。           
 挾間町池ノ上自治区には、この強力狭間直重が持ち上げて歩いたとい
う大きな石が現在も残っています。                

              文 挾間町歴史民俗資料館 
                館長 二宮 修二


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