妙見丸
北方の妙見神社(みむすび神社)には、むかし大きな楠が立っていました。'
それは、挾間のどこから見ても見える大きな楠でした。しかもこの楠は、 '
まっすぐに伸びた素性のいい木でした。 '
北方は、臼杵の殿様の支配でしたから、江戸時代の初めころ臼杵の殿様が、'
見回りにやってきて、「立派な楠じゃのう、船を作ったらさぞいい舟が出来 '
るじゃろう。」といったので、家来は「この木を切ってさっそく船を作りま '
しょう。」といって殿様の参勤交代用の船を作りました。 '
なにしろもとの木がおおきいのでりっぱな舟が出来ました。船の名前はお '
宮の名前にちなんで「妙見丸」とつけました。妙見丸はどんな大波でも負け '
ずにすいすい走るすぐれた舟でした。 '
ある時、参勤交代のため殿様を乗せたこの船が、大阪の港にちかづいた時、'
大きな嵐がやってきて沈もうとしました。そのとき、乗っていた武士が「妙 '
見様にのりとを上げよ。」と叫んでのりとを上げると、舟は波を切って進み、'
無事港へ着いたのです。 '
1年たって江戸からの帰り、船頭は、船が沈みそうになったところを通ら '
ないように運転しましたが、どうしても、自然に船はそこへ進んでしまうの '
です。しかたなくそこへ着くと、船はぐるぐる回りだしたのでびっくりして '
船頭たちはあぶら汗が出てきました。そこで、また、妙見宮ののりとを上げ '
ると海はおさまり、妙見丸は元通りまっすぐに進みはじめ、豊後の国へ無事 '
帰ることが出来たということです。 (皇産霊神社由来記より)'
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