初 瀬 も の が た り

尊い犠牲

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 その日から、工事の多くの人々が、必死で土手を造りました。  
お初の命を無駄にしないように、しっかりとした工事をしようと、心を
ひとつにして頑張りました。                  

 工事は進み、やがて土手が出来上がりました。それ以後、土手が崩れ
ることはありませんでした。                  

 お初の名をつけた「初瀬井路」工事は、その後着々と進み、1650
(慶安3年)鬼瀬から大分市の東院(とい)まで水路が出来上がり
ました。挾間中学校北側の道路が、人柱の立った土手です。    

 現在でも、お初の霊を慰めるための「おせがき」という行事が、お盆
に行われています。                      



幾ひさし 吉明けし 初瀬川 流れを受けて民も栄えん
          初瀬井路が出来上がったときに、日根野吉明公が詠んだ歌



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